奇妙な夢を見た。その2

 なぜそんな夢をみたか。
それは、10日ほど前に触れる機会のあったやきものの名品たちのせいである。

富本憲吉の白磁八角壺、、石黒宗麿の壺、加守田章二の焼き締めの壺 ・・・。
ある工芸の研究会で訪問した美術館で、文字どおり名品にじかに「触れる」機会に恵まれた。
事前に希望する作品を連絡するさい、僕は富本憲吉の白磁の壺を挙げておいた。富本の著作に惹かれ、法隆寺に近い奈良・安堵町にある記念館をなんども訪ねた。
そんなファンのひとりなのだが、これまで富本の作品を手にしたことはなかった。
その白い肌が目の前にある。
おそるおそる手を差しのべたとき、「しっかり持ってください。そのほうが危険がないですから」と係りの人の声。
僕は、ひしと抱き寄せた。積年の思いは遂げられたのである。
藤沢周平の「蝉しぐれ」のラストシーンが、ふと浮かんだ。

 願いが叶って目移りしたと言うわけではないが、
他の見学者が希望していた石黒宗麿の壺にはなんとも言えない魅力を感じた。
「彩ジ(※次の下に瓦)柿文壺」。図録でしか見たことがないものだった。
大型の壺だと思い込んでいたが、高さ18センチほどしかない。
磁器土をロクロで挽き、白化粧が施された上に、柿を実らせた枝が省略化されて周囲を巡っている。
足で蹴って動力にする蹴ロクロでゆっくり挽きあげられた壺には、ほっこり微笑みかけてくる柔らかさがあった。
石黒はひとつの釉薬を使ったあと、別の原料を目分量で加えて別の釉薬を作ったと聞いたことがある。釉薬のことを知り尽くした人だが、できあがった壺からは「どうだ、すごいだろう」という、いわゆる「匠気」がどこにも感じられない。
落ち葉を燃やす匂いが漂ってくる陽だまりに腰をおろして、柿の木を眺めている
――そんな気分にさせてくれる壺だ。
にこにこしながら作ったんだろうな、という楽しさだけが伝わってきてこちらの顔がほころぶ。
作っている傍らに座って、一日中その姿を眺めていたい気がした。
脱力したフォルムで、どうみても隙だらけ。
しかも小玉スイカほどのサイズの小品である。

 大きなもの、自慢そうなもの、欠点のないもの、そんなものがこの壺の前ではなんの意味もない。
そのことに気づきなさいという配慮が、おそらくお世話をしてくださった美術館の人にあったのだろう。

 地下鉄の駅に向かって歩きながら、思いついて、いまも気になってしかたがないことがある。
あの壺を、たとえば実家の天井裏で見つけたとしよう。新発見の石黒作品だったとしよう。
僕の名前で伝統工芸展に出したら、あの名品は入選するのだろうか・・・・。
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by yasuhikohayashi | 2007-05-24 17:13

日々、気がついたことのあれこれを書きます。


by 林 寧彦(やすひこ)
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