高校の入試問題で、僕の書いたものが出題されたことを前回書きましたが・・・・続報です。
コピーを送ってもらえないかと頼んでおいたら、入試問題集が送られてきました。
横浜・隼人高校の平成17年度の国語の問題で、朝日新聞に投稿した全文が載っています。

受験生の気分になって、問題に挑戦してみました。

ぜんぶで9問。いくつかの答えの中から一つを選ぶ択一式の設問。
やってみると、これがけっこう難しい。
結果は9問中、正解が8つで、×が1つ。

×になった問題は、最後の文節に関するもので、・・・・・
『問六 「退屈な言葉やエラそうな言葉」に対比する言葉を本文中から抜き出して答えなさい』、というもの。
僕の答えは、「生活者に受け入れられる分かりやすい言葉や、時代に合った言葉」でしたが
正解は「はつらつとした言葉(生き生きとした言葉)」だった。

迷いに迷って「えいやっ!」で答えを書いたヤツは、運よく正解。
その問題は・・・・
「問九 本文の内容と合致するものを次ぎの中から一つ選び、番号で答えなさい」
1四字熟語を使わずに外来語を日本語に直すことで、分かりやすくなる言葉がある。
2外来語を使うと日本語が混乱するので、あまり使わないようにするほうがよい。
3中国の外来語対応は日本人の言葉の感覚に似ているので、真似をすべきである。
4外来語は、私たち生活している者に合った言葉に言い換えることが必要である。

僕は、1か4かでほんとうに迷ってしまった。
正解は4でしたが、1も正しいと思うんだけどなぁ。

ついでに、もう一つ。
『問三 「眉間にしわを寄せるご隠居さんの顔が浮かんでしまう」とは、どのような気持ちを表現した言葉か。次の中からもっとも適当なものを選び、記号で答えなさい」
ア 見たくないものを見て、残念に思う気持ち。
イ 納得のいかないものを見て、やりきれない気持ち。
ウ 新しいものを見ることで、興奮してわくわくする気持ち。
エ 変化していくものを見て、昔を思い出して懐かしむ気持ち。

僕は、答えが見つからずに困ってしまった。
「新しいものを理解しようとせず、不愉快を感じる気持ち」くらいの気分だったのですが・・・。
「もっとも適当なもの」と書いてあるので「イ」と答えたら、当たりました。

にわか受験生になって問題に挑戦してみて、・・・・・面白かった。
特別、意識しないで書いているんだけど、「話し言葉を多用することで、読者に語りかけるように述べている」
というのが「正解」だったりすると、なるほど、僕はそういうテクニックを使っているのか、と発見もありました。

ともかく、「この文章の論理の矛盾点を挙げよ」なんていう問題がなくて良かった!
[PR]
# by yasuhikohayashi | 2005-10-04 12:13

入試問題事件

ある人から教えられて、「事件」を知りました。
一昨年の暮れに朝日新聞「私の視点」に載った、僕の投稿原稿
「外来語の言いかえはコピー感覚で」が、今年春の高校入試に出題されたようです。
横浜の、ある私立高校。これは僕には大事件です。

いったいどういう試験問題になったんだろう。僕は、だいたい気分で書くほうだから、
論理的な矛盾点などがたくさんあるだろうし、あんな文章でアタマをひねって答えを出さねばならない受験生がちょっと気の毒。
まさか、「この文章の、論理的な矛盾点をあげよ」とかいう問題じゃないだろうな。

自分でも設問に答えてみたいと思って、高校に電話を入れて入試問題のコピーをいただけないかと掛け合ってみました。
電話の向こうの先生は「勝手に使わせていただいて・・・」と恐縮されていましたが、
もともと新聞という公器に載ったものだし、僕はただ、興味があって連絡したことを話しました。
「調べてみます」と言ってくださったものの、入試情報を外部に出すのには会議が必要なのかもしれません。

どんな試験問題になったのか、首を長くして連絡を待っているところです。
[PR]
# by yasuhikohayashi | 2005-09-22 13:49
夏休みに水をやれず、葉をすべて落としてしまったバルコニーの芙蓉。
今朝、今年初めての花を咲かせました。
ゼロから再スタートして6週間。涼しくなってしまうのと競争するように新しい葉を出して、蕾をふくらませました。芙蓉にとっては残暑の厳しさが幸いしたようです。
昨日は蕾の先が裂けて赤いものが見えていたので、朝を楽しみにして寝ました。
蕾をたくさんつけているので、しばらくは朝が楽しみです。
「寝床に就くときに、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である」とヒルティーが書いているそうです。

そういえば、窯が冷めて翌朝には開けられるなどというときも、遠足の前の日の幼稚園児のような気分。一ヶ月に何度も「幸福な人」になっているわけですね。
e0057104_9525037.jpg

手前のススキが穂を伸ばし始め、奥の萩にも花がチラホラ。
どこからやってきたのか、8月の末から1匹のコオロギが夜ごと鳴いています。地上にいるメスにチョッカイを出しているのかと思うほどの大声をはりあげます。地上10階のベランダはナンパにはすこぶる悪条件。つかまえて地上の盛り場に連れて行ってやろうかとも思案しました。
うるさいのが玉にキズとはいえ、せっかくの秋の風情を追い出すのももったいない。
「工房の近くからメスを掴まえてきてもいいかなぁ」と家人に訴えてみたものの、あえなく門前払い。
昨夜から、オッチョコチョイがもう1匹。ちょっとおとなしい声の2匹目が鳴き始めました。
[PR]
# by yasuhikohayashi | 2005-09-14 09:57

秋の新作です。

渋谷区代官山のギャラリー「器る・くーる」さんの展覧会用(※個展ではありません)
に20点ばかり送り出しました。
じつは、まだ制作途中のものもあって、追っかけで持参するつもりでいます。
昨日送ったものの中から、数点紹介します。


器る・クール「こだわりの器展」
 会期 9/15(木)~10/12(水)
11時~20時(月曜=定休日)


ご高覧いただければ幸いです。

e0057104_1413872.jpg


e0057104_1432320.jpg

布目白化粧の技法です。高原の秋、湖畔の秋をイメージしました。尻尾にちょんと赤絵を。


e0057104_144747.jpg


e0057104_1461162.jpg

たかつき、と皿。
新しく面白がってやっているもので、お月さんなんぞはどうかな、と思いまして。
[PR]
# by yasuhikohayashi | 2005-09-12 14:41

カレー屋さんのゴルゴ

ランチのために駅前にあるチェーン店のカレー屋さんへ。
今日のように窯を焚いていて短時間で戻ってこなければいけないときや、
時間のないときにはよく行きます。

チキンステーキ・カレー、600円也を自動販売機で買って
カウンターへ。
カレーが運ばれてきて食べようとすると、すぐうしろに人の気配。
ふりむいてみると、20歳くらいの若者がボーッと立っている。
空いた席はたくさんある。なのに他人の真うしろに立つ理由がわからない。

スプーンを手にしたまま、僕はちょっと不安になる。
アタマのおかしいヤツだったら・・・・・。
食べるために頭を下げる動作は無防備すぎる。

なんとも落ちつかないので尋ねてみた。
「あの、なんでそこに立ってるの?」
若者は応えた。
「お弁当ができるの待ってるんですけど・・・」
「あ、なるほど。・・・わかりました」

そのあと、ついよけいなことを口走ってしまった。
「すぐうしろに立たれるの、落ちつかないんだよね」
若者は、僕の言葉を無視した。

このごろ、思ったことを腹におさめておくことができなくなった。
もともとこらえ性のないところに、
会社勤めをやめてからは感情を抑える訓練の場もなくなってしまった。
抑制が効かなくなることが多くなった。

相手にまっとうな応えを反されたときが、なおいけない。
ふりあげたコブシの持って行き場がなくなって、妙な当たり方をしてしまう。
それにしても、今日のはケンカを売ってるよなぁ。
相手が悪かったらどうなっていたやら。

ごちそうさまを言って店を出るだんになっても
若者はおとなしくテイクアウトの弁当を待っていた。

店を出て自転車に乗ろうとして、あることに気がついた、
「俺のうしろに立つな」
あれは、ゴルゴ13のセリフだった。
[PR]
# by yasuhikohayashi | 2005-09-06 13:25
「伝統は戴くものではなくて、踏まえるもの」と先日書いて、
なんだか自分でも、ちょっと気に入りました。
そのあと反芻しています。「伝統って何?」

「踏まえる」ということから連想したのは1本の若木。
若木が踏まえているのは、養分をふんだんに含んだ土。
その養分は、以前その地に生えていた木々の葉や、幹が朽ちたもの。

若木はそれを踏まえて、根から自分に必要な養分を吸い上げて育つ。

なんだ、伝統って、先人が残してくれた「肥やし」のことじゃないか、
と気がついた。
いくら大木でも、そのままでは肥やしにはならない。
原型をとどめないくらい朽ちてくれないと、養分をもらえない。
ヤドリギでもないかぎり消化不良を起こしてしまう。
ヤドリギは、宿り主よりずっと小さい。うん、これはなかなか象徴的。
接木(つぎき)は?うん、これもますます象徴的だ。
ヤドリギも接木も、伝統を踏まえないで、戴いてるんじゃないかな。
伝統の七光・・・・。

釉薬を作るときには植物の灰を使う。
灰は植物ごとに成分比が違う。
松の灰には鉄分がたっぷりで、
ワラや竹には珪酸分が多い。
鉄分も珪酸分も、すべて地面から吸い上げたものだ。
植物ごとに地面からもらうものに違いがあるのが面白い。
たとえ鉄分が少ない土地でも、松はほかの木よりも多くの鉄分を吸い上げる。
珪酸の少ない土地でも、竹は珪酸分を好んで吸収する。

足元にある肥えた土から、おそらく無意識のうちに何かをもらう。
おなじ土地に生えても、松は松になるし竹は竹になる。
なるほど、それが個性というものではないだろうか。

個性的な人は個性的な服なんか着ない、と誰かが言ってたっけ。


と、なんだか理屈っぽいことを書いてしまいました。
今日は、早朝から電気の窯とガスの窯の両方を焚いています。
今週末には都内・代官山のギャラリー「器(うつわ)る・くーる」さんの展覧会用に
搬入しなくてはならず、ものすごく慌てているところです。

8月にのんびりしたのがいけなかった。
夏休みギリギリまで遊んで、必死に宿題やって、それでも間に合わなくて
「できてるんですけど、持ってくるの忘れました」
と、始業式の日に言い訳していたのを思い出します。
性格は変わらないものですね。
[PR]
# by yasuhikohayashi | 2005-09-06 11:15
日本伝統工芸展入選発表が朝日新聞紙上でありました。
前夜は夜中に目が覚めたりしないように、やや深酒をして床についたのに
やっぱり4時には目が覚めた。

薄暗い中、新聞はまだかと玄関まで行ったり来たり。
4時15分に行ったときには、配達のお兄さんとバッタリで
お互いにちょっとびっくり。

拍手(かしわで)をパンパンと打ってから朝日の地方版を開いたら
選挙一色の紙面の片隅に千葉県の入選者たち。
陶芸部門、7人のなかに自分の名前がありました。

開く前、名前がない場合に自分を納得させる理由を挙げてみた。
「図柄がシンプルすぎたかな」
このところ、「芸術点」よりも「技術点」重視の傾向が見られるから
もっと複雑なものにすれば、気に入られただろうな。
でも、ぎりぎり余分な要素も色もそぎ落とした図柄だから、それが分からないんだったら
「日本伝統工芸技術展」とかに名前を変えたほうがいい。
また僕のような、古くから伝わる釉薬を使っていない者を落とすんだったら、
「日本伝承工芸展」に変えたほうがいい。

自分を納得させるための理由をいくつも挙げて、
心の準備をしてから開いたわけです。
この歳になると、自分が傷つかないよう予防線を張るのがうまくなってきます。

入選は、やはりうれしいものでポンと肩をたたかれた気分になれます。

去年は正会員に認定される4回目の入選がかかっていたので、
プレッシャーがたいへんでした。
ダメだったときに、自分のやっている方向性に悩むのではないか、というのが怖かった。
「他人の評価で自信がついたと言う人がいるが、それは『自信』ではなくて『他信』だ」と
洋画の中川一政さんが書いていましたが、僕はそれほど強くない。
「他信」でもなんでも、もらえるものはもらいたい。


工芸をやっていると「伝統とはなにか」といった本質的なことにぶつかります。
「伝統」と「伝承」の違いとは何だろう。
今時点で、おぼろげに僕が考えているのは、こんなことです。

伝統とは、「昔生まれて、いまの空気を吸って、いまも育っているもの」。
伝承とは、「昔生まれて、昔の空気を吸って育ち、いま生き残っているもの」。

自分のやっていることのベースに「伝統」があるのかどうか、正直よくわかりません。
乱暴な言い方をすれば、なにも桃山を踏まえてなくても、
さらには弥生や縄文に根がなくてもいいのではないか。
人間がサルだった時代から目に入れて蓄えられてきた「美意識」のようなものが、
無意識のうちに出てくれば、それを「伝統」と言っても差しつかえないのではないか。

ま、そのくらいいいかげんに「伝統」という言葉を受け止めています。
いずれにしても、伝統は戴くものではなくて、踏まえるものだと思っています。

ところで、美しい形ってなんだろう。
壷など見ていて、きれいだなと感じて、なぜキレイと感じたのかと考えてみると、
何かの果実や種の形に似ていることに思い至ったりします。
森の中でエサを探していたサルは、きっと美味しい果実や種の形をしたものに
「!」と良く反応する目を持っていたのではないだろうか。
壷や花器の姿の向こうに、いまも人はサルだった時代の果実や種の形を見ているのかもしれません。

調子に乗って、おしゃべりが過ぎたようです。

6月、7月と準備して、伝統工芸展に搬入してから審査結果が出るまで
一ヶ月の宙ぶらりん。
ああ、長かった夏が終わりました。

e0057104_1126495.jpg


★写真は、工房の煙突を背景に、九月の風にそよぐ菊芋の花
[PR]
# by yasuhikohayashi | 2005-09-02 09:57

芙蓉の扶養

先日、至近距離を通過した台風11号は、マンションの最上階の我が家のベランダでも暴れました。
さいわい、萩を植えた大鉢が倒れてごろごろと転がったていどで、
プランターに植えたゴーヤーも、穂を出し始めたススキの大鉢も無事でした。

ルーフ・バルコニーがわりあい広いので、野山で掘ってきた植物などを鉢植えして楽しんでいます。ススキ、萩、箱根ウツギ、芙蓉、イロハカエデなど、ごくありきたりの草木ですが
そういうどこにでもあるようなものが、ときにハッとするような風情を見せてくれます。

芙蓉は博多からやってきました。
単身赴任していた時代に通勤の行きかえりに見かけて気に入っていた芙蓉の木がありました。
小川の石垣のあいだに根を張って、川面に覆いかぶさるように枝を伸ばしていた。
あの木は、僕が植物に話しかけた最初のものではなかったか。

その夏、初めて桃色の花を咲かせているのを見たときには、思わず足を止めてバッグから
スケッチブックを取り出した。鉛筆を走らせながら、「サラリーマンが通勤途中でスケッチして
いるというのは、そうとうヤバイぞ。戻れないところに一歩踏み出してしまったのではないか」
そんなことを意識しました。

帰任して一年足らず経った冬。博多に出張する機会があって、5年間暮らしたマンションを訪ねてみました。管理員のおじさんと1年ぶりの対面。1003の部屋にはやはり東京からの単身赴任者が入っているとのこと。当たりまえのことながら、馴染んだ部屋ですでに別の生活が始まっているというのは不思議な気がします。

宿泊先のビジネスホテルに歩いて戻る途中で、芙蓉の木に再会しました。
葉を落とした芙蓉の枝は寒そうだった。
「ごめん」と、いちおう断ってから枝を数本折り取りました。
ホテルの洗面所のシンクに水を張って浸し、翌日切り口に水を含ませたトイレットペーパーを巻いてランドリーバッグに入れて持ち帰りました。

バケツに水を張って活けておいた枝の切り口から根がのびた春、鉢に植えました。

花をつけるようになったのは、4年経った去年から。
今年は・・・・、夏休みで不在のあいだに水を涸らしたために、葉はすべて落ちて蕾も全滅。
枯れるかと気を揉みましたが、しばらくすると新しい葉が出ました。

「涼しくなる前に花ば咲かせたかよ。連れてきたからには、しっかり扶養してくれんといかんばい」
季節の移ろいとの競争の毎日、僕に文句をいいながらも、芙蓉の蕾はしだいに大きくなっています。
[PR]
# by yasuhikohayashi | 2005-08-28 13:14

ブログの文章

ブログに載せるメッセージ、どんな文体で書こうかとけっこう迷っています。
文体というほど大げさでもなくて、どんなふうに書くのが気分がいいのかな
というていどですが。
会話体にしたほうがPCの画面では違和感がないかな、とか、
エッセイっぽく、やや書き言葉に近いほうが読みやすいかな、とか。

会話体なら、メールと同じだからラクはラクなのですが
ただのダベリになってしまうのも気になります。

先日、ある出版社の方から「小説書いてみる気はないですか?」
などという思いがけないことを言われて驚きました。
エッセイ・モドキの散文が限度だと自分でもわかっているし、
買いかぶってくれたのをまともに取るほど脳天気でもないし、
だいいち、架空の主人公が登場する話なんてどう書けばいいのやら。

でもなぁと、反応している自分もいます。

自分の中の新しい部分を発見することくらい楽しいことはないし、
陶芸を続けてきたのも、自分の中の知らなかった部分、
たとえば、自分が美しいと感じる形や土のマチエール。
キレイだと思う花、嫌な感じがする花。
冬の雀の様子に、もののあわれを感じるようになった自分の年齢のことなど。
陶芸をしなければ気がつかなかったことにたくさん出会えています。

だから、小説も書いてみればきっと何か発見があるかもしれないな、
と、ちょっとワクワクしてきました。
「大きなことを書こうとするから書けないだ。字のとおり小さな説を書けばいいんだよ」
とある作家がなにかに書いていました。

発表の場を作ってやると言われたわけでもないし、
怠け者なのでいつになるのか、はたして形になるのか、雲をつかむような話ですが
やってみようかなと思っています。
やって損することは何もないんだから。

前回のブログの文体が、なんだかちょっと書き言葉に近くなったのは
そんなことがあったからです。
なにしろお調子者で、すぐにその気になる性格ですから。

ブログにはどんな文体が似合うか、なんてことはあまり考えず、
その日の気分で文章のトーンはコロコロ変わると思いますが
お付き合いくださいませ。

「小説はどうなりました?」というようなコメントは、
体に悪いから入れないように。
[PR]
# by yasuhikohayashi | 2005-08-25 15:10
ボールがバットに当たった手ごたえがたしかにあった。
昼下がり、書斎でごろんと横になって本を読んでいるうちに転寝してしまっていた。

僕は高校球児として甲子園に出ていた。
バッターボックスに入ったとき、ゲームは大詰めを迎えているようで大きな声援が聞こえた。

こういう場面で怖気づくはずの性格なのに、よけいな雑念がないのがふしぎ。
いきなりのバッターボックスで、プレシャーを感じる余裕もなかったのだろう。
豪腕の相手ピッチャーの球に、すこし遅れ気味にバットを出した。
ガツッとした手ごたえがあった。

球の行方は見えなかったが、必死で走って二塁打になった。
塁上で応援席に向かって手を挙げた。歓声が押し寄せてきた。

僕のあとの辻君というバッターが、また二塁打をかっ飛ばして
僕のときよりも大きな歓声があがり、同点だった試合は勝ち越し。
実況中継のアナウンサーが辻君くんをさかんに褒めた。
ヒーロー役を奪われて、僕はちょっと不満だった。

意識がしだいに戻ってきた。ラジオが点けっぱなしになっている。
「林君の二塁打に続いて、辻君の二塁打で勝ち越し・・・・・」
・・・実況が続いていた。

夏の甲子園の準決勝、駒大付属苫小牧高校VS大阪桐蔭高校の試合。
ラジオの中継のままに、
僕は苫小牧のキャプテンで先頭バッターの「林君」になりきって
バッターボックスに立っていたのである。

それにしても二塁打になった当たりは、はっきりと手ごたえがあった。
目が覚めてからうれしくなった。
僕は、桐蔭の150キロピッチャーの辻内君から二塁打をかっとばしたのだった。

しかし、52にもなって甲子園球児になった夢を見るなんて。
昼寝したときにはあまり気分のいい夢は見ないものだが
このときはじつに爽やかな目覚めだった。

中学1年のとき野球部に入り、練習のキツさに一学期で退部した
あの鬱屈感の何分の一かは二塁打が吹きとばしてくれた。

苫小牧の林君、ありがとう。

ついでに言えば、甲子園の高校球児たちというのは、
僕が中学生のときには、ずっと年上に見えた。
高校生になっても変わらなかった。
そうして、プレッシャーにめげず闘う彼らのことが
恥かしながら、いまだに年上に見えてしかたがないのである。
[PR]
# by yasuhikohayashi | 2005-08-21 16:07

日々、気がついたことのあれこれを書きます。


by 林 寧彦(やすひこ)
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30