40年ぶりのバッターボックス

ボールがバットに当たった手ごたえがたしかにあった。
昼下がり、書斎でごろんと横になって本を読んでいるうちに転寝してしまっていた。

僕は高校球児として甲子園に出ていた。
バッターボックスに入ったとき、ゲームは大詰めを迎えているようで大きな声援が聞こえた。

こういう場面で怖気づくはずの性格なのに、よけいな雑念がないのがふしぎ。
いきなりのバッターボックスで、プレシャーを感じる余裕もなかったのだろう。
豪腕の相手ピッチャーの球に、すこし遅れ気味にバットを出した。
ガツッとした手ごたえがあった。

球の行方は見えなかったが、必死で走って二塁打になった。
塁上で応援席に向かって手を挙げた。歓声が押し寄せてきた。

僕のあとの辻君というバッターが、また二塁打をかっ飛ばして
僕のときよりも大きな歓声があがり、同点だった試合は勝ち越し。
実況中継のアナウンサーが辻君くんをさかんに褒めた。
ヒーロー役を奪われて、僕はちょっと不満だった。

意識がしだいに戻ってきた。ラジオが点けっぱなしになっている。
「林君の二塁打に続いて、辻君の二塁打で勝ち越し・・・・・」
・・・実況が続いていた。

夏の甲子園の準決勝、駒大付属苫小牧高校VS大阪桐蔭高校の試合。
ラジオの中継のままに、
僕は苫小牧のキャプテンで先頭バッターの「林君」になりきって
バッターボックスに立っていたのである。

それにしても二塁打になった当たりは、はっきりと手ごたえがあった。
目が覚めてからうれしくなった。
僕は、桐蔭の150キロピッチャーの辻内君から二塁打をかっとばしたのだった。

しかし、52にもなって甲子園球児になった夢を見るなんて。
昼寝したときにはあまり気分のいい夢は見ないものだが
このときはじつに爽やかな目覚めだった。

中学1年のとき野球部に入り、練習のキツさに一学期で退部した
あの鬱屈感の何分の一かは二塁打が吹きとばしてくれた。

苫小牧の林君、ありがとう。

ついでに言えば、甲子園の高校球児たちというのは、
僕が中学生のときには、ずっと年上に見えた。
高校生になっても変わらなかった。
そうして、プレッシャーにめげず闘う彼らのことが
恥かしながら、いまだに年上に見えてしかたがないのである。
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by yasuhikohayashi | 2005-08-21 16:07

日々、気がついたことのあれこれを書きます。


by 林 寧彦(やすひこ)
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