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2011年分 よそのサイトん書いていたブログ


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111224
クリスマス・イブの客

イブに陶芸体験したいというカップルに付きあいました。
いったいどんな動機なのか知りたかったので、開講日ではないけれど断りませんでした。
22歳と20歳のふたり。
男の子はライブをやったりしてるミュージシャン志望(かな?)の若者。
女の子は礼儀正しく、上品な御嬢さん。
「今年のイブは、ふつうじゃないことをして過ごしたいね」と
話したのが始まりだそうだ。
イルミネーションのあるところとか、そういうのじゃないところ・・・。
「陶芸がいいね」ということで、すぐに話がまとまった。
彼女がずっと前にどこかでご家族と陶芸体験したのが
楽しい記憶になっていたらしい。
ネットで、教室探しを始めた。
僕の教室にした決め手は、「教室のHPのイラストがかわいかったので」
とのこと。
オレのイラストやんか!
(ちなみに同じイラストで、電柱広告を近所に数本出しています
 ⇒こんなの)

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当初、ロクロ体験したいということだったけど、メールで話してみて
「湯飲みのようなもの」ではなくて、なにかちゃんとしたものを作りたそう。
ロクロにするか、手びねりにするかは、当日までに考えておいてもらうことにした。
教室に来ても迷っていたようだが、
両方の体験の作例がちょうど焼きあがっていたので
見せたら、手びねりに決まった。
2時間半の予定が、延びにのびて4時間半。
途中からは、これも縁だから付き合ってやっか!という気分。
最後は男の子が高台脇をけずりすぎて、内側にぽこんと飛び出したりしたが、
まぁいいかと、そのまま完成。
女の子のは、いい感じにできあがった。
最後は声をそろえて、「すっごく面白かったです!!」
近所にご飯を食べに行くというので、
まぁまぁ美味しいお店を教えてあげた。
メリークリスマス!
ちょっと早いけど、良いお年を!
なんて送り出した、今年のイブでした。
こんなイブも、たまにはいいものだ。

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111218
ベランダの四季5
すっかり更新が止まってしまった「ベランダの四季」ですが、
3か月分を載せます。

【10月】
ススキ

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伊豆の山で見つけて、穂が美しかったので掘って持ち帰ったのは
そうか、あれは20世紀のことになる。
毎年10月には楽しませてくれる。
11月、12月のススキも、それぞれに風情があって良い。
パッションフルーツ
果実がしだいに大きくなってきた。
霜が降りるまでは外に出しておきたい。
すこし紫に色づいてから収穫。そして追熟させる予定。

だんだんいい色になってきた。
花はかなりの数咲いたが、けっきょく残った実は3個。
肥料を多めにやったおかげで、3個はこれまでで最多である。

【11月】
パッションフルーツ

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なかなか色づいてくれず、やきもきしたが、
このところ少しだけ紫っぽくなってきた。
収穫はもう少し先。
南の植物だから、霜が気になる。
イチョウ(公孫樹)
永平寺に一日修行(禅の体験)に行ったとき、
境内に落ちていた銀杏を拾ってきて鉢に植えた。
今年は気温が下がらなかったせいか、紅葉は期待外れだった。

山桜

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伊豆の山から(なんだか盗んできたように聞こえるので、いちおう
断っておくと、自分の所有地です。狭いですが)掘ってきた。
30センチほどだったのが、こんなに育って、二年前からは花も付けるようになった。
秋ぶ色づく葉が好きだ。

富有柿(ふゆうがき)

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いい色になってきた。
12月まで取らないでいたら、一個が熟して落ちた。
残った二個を収穫して、熟し切った実をおいしくいただいた。

【12月】
ツワブキ

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屋久島でもらってきたのが、ふた鉢に増えた。
娘が11歳の春休みに、二人旅した。雨に降りこめられて
縄文杉は見られなかった。クルマで近くまで行ける弥生杉は見ることができた。
雨のおかげで、たくさん話ができた。
民宿で食べたトビウオの刺身の味は、いまだに思い出す。
楓(かえで)
日本橋三越で開かれた日本伝統工芸展の立会当番をしたときに、
屋上の植木売場(ほかにふさわしい名前があったような気がするが)で
気に入って買い求めた。
古き良き百貨店の空気が残っているような、あの屋上が好きだ。
島らっきょう
沖縄物産展をやっていたので、根付きのものを買ってきた。
酒の肴にするつもりだったが、一部をプランターに植えた。
食べきれずにどんどん増えて、大きなプランターが二つになった。
一株抜いて、球根をバラバラにして、一個を植え戻す。
残りは晩酌の友。酢味噌をつけると、しゃきっと美味い!
パッションフルーツ
池に氷が張った翌日、ぜんぶ収穫した。
まだ青いのも多かったが、枝を切り戻して室内に入れてやらないと枯れてしまう。
32個が採れました!
追熟させて、皮がしわしわになったら、食べごろ。
それまで楽しみに待つことにしよう。
鉢は室内に入れてやった。

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111018
ケーブルTVの取材がありました。

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噺家で切り絵師の柳家松太郎さんが、教室に立ち寄ってくれました。
番組名は「駅からマップ」。今回は京成津田沼駅から散歩をスタートして、見ごろを迎えた谷津バラ園までの道で出会うあれこれを紹介するそうです。
以前に何度か見た番組で、地元についての発見もあって、なかなか良い番組だと思っていました。
一週間ほど前にディレクターが一人でふらっと寄って、今回の取材が決まりました。
「ロクロを挽いてみましょうか」、というお決まりの方向に誘導してしまいましたが、
松太郎さん、まったくの初めてということでしたが果敢に挑戦されました。
回転するロクロの上で作りかけた湯飲みがすっ飛んで・・・・盛り上がる、などという
けしからんことを期待していました。
始めてみると、その集中力に驚き。
切り落としたらもう戻せない、切り絵師として磨いた集中の仕方を感じました。
一度目から、土玉がちゃんと両手の中で回っているのには舌を巻いた。
これなら基本の湯飲みではなくて、もっと高度なことができるかもと欲が出て、
皿を作ってもらうことにした。
いやはや器用なこと。底が少しへこんでいるものの、立派な皿ができた。
切り糸で切る方法をアドバイスしたら、すっとできてしまった。
おそらく教わり方がうまいのだ。教わったとおりのことをそのままやってくれる。
これがなかなかできないことを、自分が教えるようになって知った。
切り絵の師匠に弟子入りしたときのことも話に出たが、
全部受け入れて従うことが、おそらく技を受け継ぐための唯一の方法なのだ。
それを習い性として、身につけておられるのだろう。
「ものを作るのにこれだけ集中した経験は、陶芸が初めてです」という
印象的な感想が聞けた。
ともかく、皿ができてしまった。これが、その皿。
径12センチ。本人は酒が飲みたいとのことで、それなら杯(さかずき)だ。
さて、ロクロへの挑戦が終わって、切り絵の時間。
「何か切ってほしいものを言ってください」
そこで、無理とはおもいながら「ロクロを挽いてる姿」を頼んでみた。
ほんとうに、なんの打ち合わせもナシである。
ロクロに集中していたから、僕の姿など眼中になかっただろうに。
そうしてできた切り絵がこれ。

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ロクロまでちゃんと切ってある。
右手が上がっているのには理由があって、
ロクロを挽くときには脇いて、指先は下を向けるように
アドバイスしたとおりの姿。
僕の横顔、メガネまでかけている。むむむ、たしかに似ている(ちょっといい男すぎるが)。

柳家松太郎さんとスタッフが帰ったあとで気が付いたことがある。
初めてロクロをやると、たいていはドベ(粘土のヌタ)が服に付いてしまう。
今でこそ服に付かなくなったが、始めて数年間は服がよく汚れた。
ところが松太郎さんの服には(袖も長かったのに)ドベが無かった。
ほんとうにロクロ、初挑戦だったのだろうか。
もしもそうなら、大したものだ。
皿は、希望を聞いた釉薬をかけて焼く予定。
焼けたらもういちど撮影に来てくれるそうだから
放送では、焼きあがった皿が披露できそうだ。
こういう小回りがきくところが利くところが、
ケーブルTVならではの良さだろう。
教室が休みだったため、応援できてもらった会員たちと記念写真!
(あれ?打ち合わせなしでふらりと立ち寄ったんじゃなかったっけ!?
また、そんな素人みたいなことを・・・)
ちなみにケーブルテレビ局は「JCN船橋習志野」。
千葉県西部(野田市、流山市、松戸市、市川市、船橋市、習志野市、千葉市、葛飾区)で見られます。
番組名は「駅からマップ」。
2011年11月/1日~11月/9日に放送されます。
ちなみに、加入・視聴方法など詳しくは⇒0120-100-565 だそうです。

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111006
スティーブ・ジョブズ氏の逝去。

アップルの創立者で元CEOのスティーブ・ジョブズ(56歳)が10月5日に亡くなった。と言っても、彼についての知識といえば、「驚異のプレゼン」など数冊の本からのものだけだ。
なにか感想でも書こうと思って、ネットで検索してみたら日経オンラインの関連記事http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110203/218284/の中に
私の「歴史を動かしたプレゼン」の書評が載っていて驚いた。2010年9月6日の記事。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100902/216090/
出版社経由でも知らせてもらってないから、「ダマテン」なのだろう。他人の本を俎上に上げるなら、知らせてくれるくらいはしてくれてもいいのにと思う。好意的に書いてくれているのでなおさらだ。
さて、スティーブ・ジョブズ氏。本を読んだときに思ったのは、「彼のプレゼンがすごいのではない。すごいのは商品だ」ということ。「iPhone」、「iPad」という商品を世の中に発表するとき、下手なプレゼンができるのならやってみてほしい。彼が発表のときに使う小道具の巧みさ、登場の仕方など、細かいことを取り上げて「プレゼンの天才」という人がいる。そこを見てしまうと、何も学習できないのではないか。
プレゼン自体の素晴らしさを言うなら、世界にこれまで存在しなかった遊び心いっぱいの製品を、遊び心いっぱいに、つまり「素直に」紹介したことだ。開発戦略から発表時のイメージ戦略までがブレることなく一貫している。スティーブ・ジョブズというアーティストが、作品をはじめて発表したのがプレゼンという場だった。
彼の使った小道具やパフォーマンスに目を取られて、カッコイイ!とマネするのは愚かなことだ。学ぶなら次の点。製品と世界観を共有するアイデアが散りばめられたプレゼンが行なわれたこと。
 広告の大先輩がこう言った。「良い企画(広告会社では企画、製造業では製品)をヘタにプレゼンするのは難しい。だから企画にエネルギーを注げ」
※先日、以上を書いたのですが、思いついたことがあるので書き足します。
CMプランナーがプランを持ち寄る会議で、自分のアイデアを発表するときに
妙なクセのある人がいた。プランを出す前に、かならず「クスッ」と笑ってから説明を始める。自分が思いついたアイデアが、もう面白くてたまらないらしい。
それをやられると、こちらに準備が整ってしまう。つまり、「かなり面白いんだろうな」、という期待感が、である。
自分の頭の中から出てきたものが面白くてたまらない、というパフォーマンスで製品を発表したジョブズのことを考えていたら、そのプランナーのことを思い出した。
 プレゼンや発表をするときには、これをみなさんに提案、発表できることがうれしくてたまらない、という気持ちを最初に聴衆に伝えたいものだ。
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110926
ベランダの四季 4. 九月の花
季節の変化に追いつかなくなってしまった。
そこで、今回は今月咲いてくれた花をバタバタと並べます。

睡蓮
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ベランダの「池」に咲いた。池と呼んでいるけど、じつはセメントを練るプラスティックの箱に水を溜めたもの。
工房からクズ粘土を持ってきて、植木鉢につめて地下茎を植えた。粘土にはイワシの煮干を入れた。
睡蓮は魚から栄養分をもらうのだ。わがベランダの池に来て6年ほどになる。

昼顔

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洋物だ。ケープタウンなんとかという名前がついていたと思う。おそろしいほどの生命力。
宿根で、たしか4年目になる。
手すりを這ったあと、桜の樹に登った。ちなみに桜は一昨年から花が咲くようになった。
ぐい飲みに日本酒、そこに花びらを一枚浮かべるのが花の季節の定番になった。

槿(むくげ)
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伊豆の民家になんとも色の良い槿が咲いていた。10年ほど前のこと。数本もらってきて挿し木にした。
一本が根を下ろした。鉢植えのせいか、土の養分の違いか、あの民家の槿の色にはかなわない。

これも伊豆の山の中で調達。冬に切り詰めるが、見事に枝を伸ばす。
これらの写真は、すべて先週の台風の前に撮ったもの。
風で傷んだものもあるが、大きな被害はなかった。

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110908
ベランダの四季 3

パッションフルーツ
 南国のフルーツが我がベランダで伸び伸びと育っている。
種は沖縄生まれで、ひょんなことで知り合った沖縄の女性からいただいたパッションフルーツ。
僕の2冊目の本「週末陶芸のすすめ」を購入したいとメールをもらった。
せっかく沖縄からなので、おカネのかわりに物々交換しませんかと提案して、僕が本を送り、
沖縄からはずっしりと重いフルーツ盛り合わせの箱が届いた。
どう考えても僕が得をした物々交換だった。

その箱の中にパッションフルーツも入っていた。
噛んだときのプチプチと弾ける感触が好きなのだが、少しの量だけ潰すのを我慢して植木鉢に蒔いて・・・。
蒔いてと言っても、ドロッとしているから土にこすり付けて、土を少量すくって上からパラパラ。
たしか3年前の秋だった。芽が出て、ヒョロッとしたツルが伸びた。
大丈夫かなと心配になるような細さで、寒さを避けて部屋に入れてやった。

 息も絶え絶えといった状態だったが、5株の苗が冬を越して、5月になってベランダへ。
夏になってからの伸び方は異様だった。
支えの渦巻き支柱をぐんぐん登り、支柱は僕の背の高さまでしかないので、ツルは方向転換させてふたたび下方へ。
もういちどテッペンに届いたあたりで、秋になった。
たくさん花が咲き、実を付けたのだが、霜が降りる前に部屋に入れた。
せっかく伸びた枝を切り詰めたが、実は5個ほど残した。
部屋の中では日光が足りず、実が落ちるようになった。
そして春がめぐってきたと思ったら、最後まで残っていた1個が力尽きた。

 今年、5月になって再びベランダに出した。直径40センチほどの大鉢に植え替え、ツルは思い切り(10cmほどに)切り詰めた。
5株のパッションフルーツは、梅雨に入るとツルを伸ばし始めた。
様子をうかがっているような伸び方だったのが、7月に入ると暴力的な成長を見せた。
背にして立つと、腕に絡まれるのではと妄想させられるほど、巻きヒゲが伸びる。
しかもヒゲは強靭で、他の植物に絡みつくと、なかなかはずせない。
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 8月の中ごろに涼しい日が続いて花が咲いた。しばらく置いて、この2、3日、また数多く咲くようになった。
時計草に似た美しい花を咲かせる。宇宙ステーションを思わせたりもする。
どこか不気味なのは、あの成長の速度を知っているからか。
今年はフルーツを味わえるだろうか。楽しみにしよう。

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110903
ベランダの四季 2

「芙蓉(ふよう)」

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酔芙蓉の次が芙蓉では、いかにも芸がない。
とはいえ、僕の九州時代、徒歩通勤の途中で出会う芙蓉にはずいぶんと励まされた。
2001年の春に出版した「週末陶芸家になろう!」には、こんなふうに書いている。
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単身赴任している福岡では、人恋しさも手伝って植物に声をかけるのがクセになった。
徒歩通勤の途中で出会う芙蓉(ふよう)の花が好きだ。小川の石垣のすきまに根を張ってがんばっている。
初めて見たときには腰ほどの背丈だったものが、今では僕の背丈をこえた。水の上に枝を広げた姿は風格さえ漂わせている。

毎年、七月二十日ごろに最初の花を咲かせる。
薄桃色の端然としたなかに艶(えん)を含んだこの花に出会うと、今年も夏が来たんだと実感する。
「あ、咲いたねぇ。今年は涼しい日が続いたから、まだまだだと安心してたんだろう。
急に夏が来たからあわてたよなぁ」と、声をかけたりしている。
はたからみれば、気の変なおじさんである。通勤の途中で足を止めてスケッチブックを広げたことも何度かある。

 なぜ植物が好きなのかをあらためて考えてみると、その健気さにあるのではないかと思う。
植物は、あきらめるということを知らない。石垣のすきまにほんのわずかでも土があれば、そこに希望を託す。
盛夏をとっくに過ぎて、もうすぐ霜の季節を迎えようという頃になっても、芙蓉はせっせと蕾を準備している。
一人暮らしをしながら、僕は植物にどんなに励まされたことだろう。
最近の遺伝子の研究によると、植物の遺伝子と同じものが人にも伝わっているのだそうだ。(以上、「週末陶芸家になろう!」2001年双葉社より)

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じつは、東京に戻って2年ほどして、出張で福岡に行く機会があった。夜、僕はある企みを胸にホテルを出た。中心部の天神から新川ぞいの道をたどる。いつも通った通勤路だ。川の護岸は一部コンクリートになっていたが、そこは石垣のままで、芙蓉も同じ場所にあった。冬枯れして黒々と枝を広げた芙蓉に、声を掛けた。「折るよ、ちょっと我慢してな・・・」にぶい音がして手に枝が残った。持ち帰って挿し木にするつもりだ。1本ではこころもとない。4本ほど折った記憶がある。ホテルのトイレットペーパーを水で濡らして、枝の折った部分に巻いた。乾燥しないようその部分をポリ袋に差し込んで輪ゴムで巻いた。
 自宅のバケツに水を張って入れて置いたら、梅雨の頃になって内2本が根を出しているのを発見。植木鉢に移してやった。2本とも大きくなって、毎年冬には切り戻すが、夏には僕の背くらいに育つ。鉢植えのせいだろうか、花が遅く、毎年8月が終ろうとするころになって咲き始める。今年、第一号は8月28日に咲いた。

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110902
ベランダの四季 その1

「酔芙蓉(すいふよう)」

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 個展が終わって、落ちついて我がベランダを見回すと、様々な草花が目に入った。
夏の間、一日も欠かさず水遣りしていたが、ゆっくり眺めたのはひさしぶりだ。
自分が好きな草花を植えたり移植したりしているうちに、ベランダとは思えないほど、
野趣も出てきた。
野趣の出どころはというと、僕が手入れをしないせいも大いにある。
もとは何を植えていたのか定かではない、「雑草鉢」と化したものもある。それはそれで風情があって好きだ。
「ベランダの四季」と名付けて、我がマンション7階のベランダで逞しく生きている草花を紹介してゆくことにしよう。

第1回は「酔芙蓉(すいふよう)」
 どこからか綿毛の種子が飛んできて、ベランダの島ラッキョウの鉢に落ちた。
そこで根を伸ばし枝を張ろうと考えたのだから、この酔芙蓉は根性がある。
そう、ベランダには「島ラッキョウ」の鉢があって、新鮮なそれは酢味噌をつけて晩酌の肴になるのだが、
それはまた今度紹介しよう。
どうも芙蓉らしいと気がついたときには、5センチほどに育っていた。それが一昨年のこと。
鉢に移したのが去年の冬。大ぶりの鉢に移したのが今年の冬。
今年の夏、初めて花をつけた。午後になっても、それほど酔っ払った様子もなく、顔に出にくい性分のようだ。
ほんとうに酔芙蓉かどうかちょっと怪しいのだが、しぼんだ花は紅く変わっているので間違いないようだ。

酔芙蓉といえば八重の花だと思い込んでいたが、ネットで調べると一重のものもあった。
どこから飛んできたのか知らないが、マンション7階のベランダに落ち着くことに決めたのだから、世話してやるしかないだろう。

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110823
個展が終わって
個展が終わって2週間が経った。
今日は箱書きしたものを抱えてそごう千葉店に行った。
なかでも大角皿を収める桐箱は縦35センチ×横60センチという大きさ。
昨日から暑さが戻ってきて、空箱とはいえ、やはり抱えて歩くのはしんどかった。
先日、一輪挿しをお買い上げのお客様からメールをもらった。
こんな写真が添付されていた。


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「ちょっと花が多すぎですね(汗)」とあった。
いいんです、自由に使ってください。
自分が作ったものが手を離れて、こうして新しい場所に置かれ、
新しい役割を演じ始めたことに、不思議な感動を覚えます。
少し話しただけでも、気が合いそうに思える人なら、
自分の分身も、その人と相性が良さそうに思える。
こう書いてきて気づいたのですが、以前の自分とは少し変わったようです。
気に入った作品が売れると、以前の私は、思わずにらみつけていた。
おかしいですね。
こんなにいっしょうけんめい作ったものが、おカネでやり取りされるのが
理屈ではなくて、口惜しい。
ギャラリーの取り分を自分が払ってでも取り返したい!
そう思いつめたことも。
今回は、手元に置いておきたいという気持ちはあまりなくて、
喜んでもらえてうれしい、と素直に思えます。
どうしてなのか、理由はわかりませんが、
やはりちょっと変わったんですね。
大きな角皿をお買い上げの方からもメールをいただいて、
周りの人に見せてくださっている様子。
作った人間にしてみると、死蔵されるのがいちばんつらい。
どうぞ生活の中で使ってください。
生活を楽しくするのに役立つのが、工芸なのですから。

個展に出品した作品を、陶芸教室のホームページの中に一部掲載しました。
http://www.ne.jp/asahi/yasuhiko/hayashi/tsudanuma/yasuhiko-garelly/yasuhiko-garelly_index.htm
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110820
メールマガジンvol.21

新刊本のお知らせや個展のご案内、その他,
思いつくままに綴ったものをメールマガジンとして
お送りしています。
以下は8月20日にお送りした最新のメールマガジンです。
配信をご希望の方は下記のアドレスにご連絡ください。
yasuhikoアットマークpersonal.email.ne.jp
(ご面倒ですが「アットマーク」を@に変えてください)
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■■■ 林 寧彦 Hayashi Yasuhiko  
▼▼▼ メール・マガジン  Vol.21  
■■■ 2010/08/20 
■「林寧彦 陶展」(そごう千葉店7階美術画廊 8/2~8/8)が無事終了しました。
21坪の会場に190点あまりを展示いたしました。
猛暑の中、遠くまでお運びいただいたこと、感謝申し上げます。
案内をお送りするのがギリギリになってしまいましたが、
県内から、そして都内からもお運びいただきました。
遠く、伊丹市から日帰りという方もいらっしゃって、ありがたいことです。
会場でいただいた様々なご感想、アドバイス、励ましに感謝申し上げます。
4年ぶりの個展でしたが、やはり人の目に触れる機会を持つことが大切だと、
あらためて感じました。
皆さまからのお気持ちを糧に、精進いたす所存です。

準備はたいへんでした。
会期の始まる二週間前まで、粘土と釉薬の相性が悪くて悪戦苦闘の連続でした。
なんとか中止できないものだろうか、とまで思いつめました。
寝られなくなって、朝4時過ぎには工房に顔を出す日が続きました。
時間切れギリギリの時に、「これなら!」というものが上がり、
そこからは二基の窯が冷める間もなく焼き続けました。
7月の窯焚きは、思い出しても汗の出る炎熱地獄でした。。
今回新しく挑戦したのは「襲(かさね)織部釉」と名付けたもので、
織部釉の下で別の釉薬を発色させて絵を描きました。
いにしえの重ね着の美学。衣を重ねることで生まれる色の美、
「襲(かさね)」から言葉をもらいました。
それにしても、個展に向けて、どうして僕は新しいことをしてしまうのでしょう。
これまでも個展のたびにそうしてしまってたいへんな思いをしてきました。
今回、それだけはしないぞと、手馴れた釉薬を使って作ろう、
そう誓って準備を始めたはずなのに、やはり未知の釉薬を作ってしまいました。
深山の湧き水を思わせる(とコメントしたくださった方も)
涼やかな風情のやきものができました。

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■津田沼陶芸教室(主宰・林寧彦)は、9月から夜クラスが始まります。
 金曜の夜クラス(18時~21:30の内の2時間半)開設。
詳しくは⇒http://www.ne.jp/asahi/yasuhiko/hayashi/tsudanuma/studio.htm

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100818
林寧彦ブログ原稿
110817メールマガジンvol.20
新刊本のお知らせや個展のご案内、その他,
思いつくままに綴ったものをメールマガジンとして
お送りしています。
以下は7月31日にお送りした最新のメールマガジンです。
配信をご希望の方は下記のアドレスにご連絡ください。
yasuhikoアットマークpersonal.email.ne.jp
(ご面倒ですが「アットマーク」を@に変えてください)

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■■■ 林 寧彦 Hayashi Yasuhiko  
▼▼▼ メール・マガジン  Vol.20  
■■■ 2010/07/31 
今年の桜は地味に咲いたと言った人がいました。
桜が変わったわけではなく、見る人の心象が変わったせいでしょう。
盛夏がめぐってきました。
4年ぶりに開く個展のご案内です。
暑い時期で申しわけありませんが、ご高覧いただければさいわいです。
■林寧彦 陶展 http://www2.sogo-gogo.com/wsc/512/N000040411/0/info_d
■会期 8月2日(火)~8月8日(月)(8月は休まず営業)
 営業時間 午前10時~午後8時(最終日は午後5時まで)
■場所 そごう千葉店(千葉駅前)7階美術画廊
準備にまるまる3ヵ月かかりました。
出品するものの企画(プランナー)から始まり、作る人になり、
最後は電気窯とガス窯を駆使する工場長・・・。
じつは、今日も最後の焼成を行なっています。
「あんた(まだ)焼いてんのね!だから(準備を早めにと)言ったじゃないのぅ~♪」
大昔にラジオで聴いた歌を思い出したりしながら、焼いてます!
以前、私の作るものを「花鳥風月ですね」とおっしゃった方がいます。
そうではないとその場では言えなかったのですが、違和感が残りました。
自分は何を描いているのだろうと考えました。
どうやら私は無意識のうちに、「小さないのち」を描いているようです。
描いてきたものを見渡すと、それが共通項だったことに気づく、ということですが。
スケッチは以前から折々にしていましたが、
阪神大震災のあと、スケッチブックに描く野の花や草が一気に増えました。
描くことは見ること。見ることは対話すること。
地球の先住者である植物には、ハッとする多くのことを教わります。
たとえば、植物には「あきらめる」という選択肢がないこと。
種が落ちた場所が、どんなに恵まれていなくても、誰を恨むことなく光を求めます。
遺伝子の研究がすすんで、植物の遺伝子が人間にも伝わっていることが報告された
ときには、感動を覚えました。
個展の準備に5月、6月、7月と3ヵ月かかりきりになりました。
植物を描きながら、今回はとくにいのちの逞しさを思いました。
期間中、毎日在廊の予定です。
懐かしい方、そして新しい方との出会いを楽しみにしています。
さ、最後の窯焚きに戻ります。
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■津田沼陶芸教室(主宰・林寧彦)は、8月は夏休みです。
 http://www.ne.jp/asahi/yasuhiko/hayashi/tsudanuma/studio.htm

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110817
残暑お見舞い申し上げます。
千葉そごう7階美術画廊で開催した「林寧彦陶展(8月2日~8日まで)」が、
無事終了しました。
猛暑の中、お運びいただき、ありがとうございました。
(伊丹から日帰りというお客様もいらっしゃいました)
個展が始まる週間前までは、各方面に謝ってなんとかお断りできないものかと
本気で思うほど追いつめられました。
土と新しく調合した釉薬の相性が悪くて・・・・
工房の中で叫んだりしていました。
一念岩をも通すと言いますが、なんとか調合の調整が間に合いました。
最後は二つの窯が冷める間もないフル稼働になりました。
いざ会期が始まると楽しく、終ってしまうのが惜しいと思えるほどでした。
様々な励まし、ご助言もいただきました。今後の糧にいたします。
出来上がり展示したものの幅は、自分の興味の幅そのもので
限界であると同時に、それが自分に見えている範囲なのだなぁと自覚しました。
3ヶ月の準備期間、格闘が続きました。今はただ茫然とした日々の中にいます。
残暑が続きます。ご自愛ください。
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110405
枝野官房長官のイラスト


2011年分 よそのサイトん書いていたブログ_e0057104_16014562.jpg


















大震災以来、会見にでずっぱりだった枝野さんのことを
ある月刊の雑誌(厚労省系の出版物で市販はされていません)に書いた。
「プレゼン&コミュニケーション術」というタイトルで、今月で連載五回目。
今月は番外で「枝野さんに学ぶ『分かりやすく伝える技術』」と題して書いてみた。
政府の震災対応としては後手後手に回っている感は否めないが、
政府のスポークスマンとして、枝野さんがいて良かった。
なにより分かりやすいのがいい。

2カ月前の新官房長官就任の会見でこう述べた。
「(前任の)仙石さんは優れた学識をお持ちのところがあり、伝わりにくいところがあったが、
私はそれほど学がないので、分かりやすくお伝えしたい」
当時、「軽い」とも評されたが、大震災が起きてみると、仙石さんから変わっていて良かったとつくづく思う。

書いた内容の骨子。枝野さんに学ぶ「分かりやすく伝える技術」の骨子は次のとおり。
①自分が聴き手だったら分かりやすいか、常にチェックしながら話す。
②事前の情報収集では、知ったかぶりをしないで納得できるまで質問する。
③「話しをさせられる」ではダメ。「話をしたい」で場に臨む。

改善したほうが良い点
「・・・と思います」が多かった。思います、は主観。「発言に責任は負いませんが・・・」というニュアンスが入る。
「・・・です」で終わったほうが良い」

いつもヘタなイラストを添えているので、今回も会見のイラストを描いた。
デッサン風のものを描いたが、どうも気に入らなくて、どんどんシンプルにしていったら、こうなりました。
ちょっと気に入っているので、ブログで披露します。
掌を差しのべて質問を促がすやり方は、日本人が行なう会見のモデルを作ったかもしれない。
他人を指差してはいけませんと言われて育った日本人にはなじみやすい。

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110316
さらに再録「阪神大震災と広告」

東北関東大震災の様子が明らかになるにつれて、被害の甚大さに、
人の世のはかなさを見せつけられます。
翌日、コンビニの店頭から弁当やおにぎりが消えたのを目にして、ああ、それらは
早手回しに被災地に送られたのだ。そう思っていた。
買占めに走っている人がいたとは・・・・。
大量のトイレットペーパーを袋に入れてスーパーから帰ってくるのは
比較的若い年齢層が多い。
僕らの世代よりも上は、オイルショックのときトイレットペーパーの買占めに走ったことが
本当の品不足を招いてしまったことを知っている。

いまの買占めを愚かなことと思いながら注意はできないでいる。
「自分のカネで買いたいものを買って何が悪い」そう反論されたときに、
感情論ではなくて、相手を納得させる理屈がない。
大量のトイレットペーパーを持った人とすれちがうとき、今度つぶやいてみようか。
「すごいなぁ、そんなに大量のウンコが出るんですかぁ!」
テレビでは公共広告機構のCM、「エーシー!」があふれてい
る。
ネコなで声の広告のオンパレード。
ACの広告とは、広告クリエイターが普段の仕事では作れない、ギリギリの主張を込めるメディアではなかったか。
16年前の阪神淡路大震災。その5日後のこと。いま必要な公共広告をつくりたいという一人の志が、仕事仲間を動かした。
そうしてできあがったCMが、震災の街に流れた。
とりあえず、「これは阪神淡路大震災のあとに流されたCMです」というテロップを入れて、あのCMを流してはどうだろう。
この稿も、単行本「CMプランナーの仕事術(洋泉社'97年刊)」からの再録です。
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「阪神大震災と広告」 (後輩のCMプランナー・F君へ)

 引っ越しの準備は進んでいますか。
長くても五年の支社勤めのはずが、頑張ってしまうFクンの性格が災いして、気に入られてしまったのだろう。
東京に戻るのが一年遅れて、そのせいで、阪神大震災にあってしまった。えらい大阪生活やったねえ。
転勤組の大半が、芦屋や神戸方面に住むのに、F君が決めたのは逆方向の吹田市。
何かあったときのことを考えると、西の方には住む気になれなかった、と言っていたけど、
今度のことが起きてみると、やはり建築学科卒の目は確かなんだなと感心した。

 さて、ACC(全日本CM放送連盟)の受賞パーティーに行ってきました。
95年度のグランプリ・郵政大臣賞は、公共広告の「阪神大震災・井戸水編」。
やはり、今年のCMの成果はあれに尽きるだろうと思う。受賞の言葉の中で、あのCMの生まれたいきさつを聞くことができた。
制作スタッフを代表して挨拶に立った大阪電通の堀井博次さんの話がとてもよかったので知らせようと思う。

 一月十七日の震災から五日経った日曜日。同社の支社長から、堀井さんの家に電話があった。
「いま流れてる公共広告、どう思う?」
 CMの自粛で、既存の公共広告が穴埋め的に流されていた。「空き缶のポイ捨てをやめよう」とか、「川をきれいに」……。
空き缶を捨てようにも、缶の出てくれる自動販売機がどこにある。川をきれいに、と言われても、そもそも川に捨てる物がない。
人々の生活実感と、あまりにもかけ離れたCMばかりだった。

「そやろ、何とかならへんもんかなあ……」。被災した人が元気の出るようなCMはできないもんやろか、ということで意見が一致した。
 翌日の月曜日には、スタッフが集まって企画会議。
メンバーの一人から、「駅まで歩いて、あと十五分。がんばって」という貼り紙を見たけど、あれには励まされた、という話が出た。
「それや!」となって、次の日にはVTRカメラを持って町に出ての取材が始まった。

「水、出てるよ。水、持ってって! そやけど、ナマで飲まんといてな。ポンポンこわすよってに……」のCMは、そうやって生まれた。
 立ち見で聞いた、堀井さんの話。飄々とした喋りに時折笑わせられながら、僕はとても感動していました。
ひとつの思いが次々に人を動かして、あのCMができた。
「いま流れてる公共広告、どう思う?」始めに疑問符を提示した大阪電通の支社長は立派です。
自粛されたCMの、穴埋めとして出てきた公共広告だからといって、生活実感とかけ離れすぎていることが許せないと思える、アドマンとしての健全さ。
被災して一週間に満たない極限状況だったことを思うと、そのバランス感覚が際立ちます。

 受賞のスタッフとしては、おそらく名前が載らない立場の人だけれど、こういう人によって、CMがプロデュースされたんだよね。
広告にはもっとできることがあることを教えてくれた。

 もうひとつ思ったのは、こんなことです。
僕があの貼り紙を神戸の町で見たとして、それが被災した人を励ますCMになるという判断が下せるだろうか。
大災害の後の市民を励ますCMなんて、誰も作ったことがない、どこにもお手本はない。
ケチがつかないかと弱気になれば、何もできなくなる。
例えば、水道が復旧しましたよ、という告知と間違えないだろうか。井戸水はどこのものでもナマでは飲めない、と誤解されないか。
「これでいける」という決断は、勇気のいる、クリエイティブの冒険だったはずです。

 あの制作グループは、「タンスにゴン」とか「はじっこ歩きなさいよ」とかの、キンチョーの名作CMも作ってはるパワフルな集団やけど、
人間の本質を掴んではりますわな。
 あ、掴むで思い出したけど、ホンマかどうかは知りまへん、人から聞いた話でっせ。
今度のCMを中心になって作らはった人で、僕の尊敬しているプランナーが、初めてキンチョーさんに挨拶に行ったときのことらしいですわ。
手を差し出されて、握手かと思ったら、いきなり別のところを握られたちゅう話や。関西っちゅうとこはホンマにどないなっとんのやろ。

 また、おなじプランナーの人が、あるメーカーのCMを提案しに行かはったときのこと。
このCMにピッタリのモデルがいるんです、言うて出した写真というのが、ほれ、電話ボックスによく貼ってあるピンク・チラシ。
そら、クライアントの皆さん、どういうつもりやろと思わはって、反応のしようがおまへんわな。
そしたら、「これがダメなら……」と、次から次にピンク・チラシを会議室のテーブルに並べはったそうで……。

あ、これも真偽のほどは定かやおまへんで。しかし、まあ、ホンマやとしたら、たいしたサムライですわな。
わたしら、逆立ちしてもそんな真似はでけしまへんわ。キャラクターの違いもあるし、何しろあっちは天才やからな。
真似したら、そら、えらい目にあいまっせ。
関西のアナーキーな人たちのこと書いとったら、なんや関西弁になってしもうた。戻そう。
 
 震災から二ヵ月半あとの、四月一日付けで僕に転勤の辞令が出ましてん。
あ、ちっとも直ってへんわ。いかんな、大阪弁はクセになる。
その辞令の通達を見て、大阪にいる同期のヤツが電話をくれた。
「いろいろ考えるところがあるだろうと思ってさ」
彼も東京からの転勤組である。行って一年で震災にあった。
「やっとガスが出るようになって、自分の家で風呂に入れるようになったよ」

 彼と話しながら、オレは、つくづく自分のことをちいせえなあと思ったよ。
彼はそんな状況にありながら、オレのことを考えてくれてるんだもんな。こっちは、自分の単身赴任の心配ばっかりしてた。
その電話の数日後、引っ越しの荷造りの最中に、もう一本、関西から電話をもらった。
大阪に単身赴任してわずか二週間で震災にあって、ホテル暮らしの身となった先輩からだった。
「やっとマンションに戻ってきたところだよ。炊飯器とか、所帯道具をいっぱい抱えてホテルを出たとこで、
東京から出張してきたヤツと会っちゃって、イヤだったな。ハハハ」
被災地からの二本の電話の声は明るかった。こちらは、ずっと小さな出来事なのに、励まされる立場に終始していた。

 95年度の流行語大賞には、「NOMO」、「無党派」と並んで「がんばろうKOBE」が選ばれた。
被災地の関西に、逆に励まされた僕のような人間も、きっとたくさんいたんじゃないかな。

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 公共広告機構  震災支援「井戸水篇」15秒CM
 〔映像〕(被災地の一角。ベニヤ板に手書きされた文字)
水、自由に使って下さい
  水、自由に使って下さい
  そのままでは飲めません
 〔音声〕(市民の声)
  水、出てるよ、水。
  持ってってー
  そやけど、生で飲まんといてな。
  ポンポンこわすよってに。
  水、水、出てるでー
  水、持ってってー
〔ナレーション〕
  「人を救うのは、人しかいない」
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110316再録「恐縮ですが、コマーシャルです」

1995年1月17日の未明に起きた阪神淡路大震災のあと、
連載を持っていた広告の業界紙に書いた原稿を再録します。
(亡くなった人の数を5000人と書いたが、のちに6434人と報告された。
なおこの稿は、のちに単行本「CMプランナーの仕事術(洋泉社'97年刊)」に収録したものです)
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映像新聞1995年1月30日号

「CMプランナーからの手紙 (連載第52回)」より

「恐縮ですが、コマーシャルです」  久米 宏様

 死者五千人という数字が、いまだに実感をもって想像することができません。
五千という数字は僕が勤める会社の全社員数を上回ります。
娘の小学校の全校生徒の五倍にあたり、暮れに書いた年賀状の四十倍。失われた命の数に圧倒されます。
 阪神大震災から一週間が経ち、テレビは避難所やテントでの生活を送る人びとの様子を伝えています。
「いま、いちばん欲しい物、したいことは何ですか」との問いかけに、「下着が欲しい」「温かい食べ物が欲しい」「風呂に入りたい」
「早く葬式をして仏さんにしてやりたい」。
そんな言葉に接するたびに、自分の今までの価値観に大きな地割れが生じているのを感じています。
 自分にとって、大事なこと、さほどでもないこと、どうでもいいこと、それらをキチンと心の中に位置づけて生きていかねばいかんな、と。
そしてまた、広告を職業としている立場としても考えさせられることがありました。

 地震当日のニュース・ステーションを見ていたときのことです。
淡路島の避難所の様子をレポーターが伝えたのを受けて、久米さんは「では、恐縮ですがコマーシャルです」と言いました。
僕には何かひっかかるものがありました。
僕たちの作っているCMは、大惨事の前では恐縮して身を縮めながら見てもらわなければならないのか、といった心の動き方ではなくて、
何だかCMがかわいそうな気がしました。
司会者に「無神経なヤツです」と紹介されて、それでも立ちあがってあいさつしなくてはいけないときのような、やり切れなさを感じました。

 大事件のさいには、テレビ局にはCMを外して番組を続けられる契約がスポンサーとの間にあるはずです。
でも、テレビ朝日はその決定をしなかった。そうであるなら、言い訳めいたことをアタマに振ってからCMを流してほしくはなかった。

 おそらく、久米さんの「恐縮ですが」には次のような心理が働いていたのだと思います。
「こんな時にまで商魂たくましくモノを売ろうとするなんて、なんとデリカシーのないスポンサーなんでしょうネ。
CMをカットしない局の幹部も同類です。ボクはそんな連中とは違いますよ」

 久米さんの心の中は見えませんが、「こんなときにノー天気なCMを流してスミマセン」という配慮の気持ちが働いたのは確かでしょう。
何度もあったCMタイムの前に「恐縮ですが……」と付け加えたのはたった一度だけ。
それは久米さんを久米宏たらしめているバランス感覚なのでしょう。

 久米さんの申しわけなさそうな表情のあと、CMがノコノコ出てきました。
次々に流れてくるCMを見ているうちに、僕は不思議な気持ちに襲われました。
助手席にエア・バッグを標準装備したフォードのCM。「思いどおりの子に育ってるわ」と竹下景子さんがほほ笑む殖産住宅「ホーメスト」のCM。
寝るときのカユミを抑える大塚製薬のクスリ。剃り残しなしのシックのシェーバー。八段飾り、久月のひな人形。
これらのCMからは、生活する人たちのさまざまな心の姿が見えてきます。

 助手席の大切な人の命を守りたいと思うこと。家を建てることを幸せの証と信じること。
アンケートでアゴの剃り残しがいちばん気になると答えた若い女性たち。大きなひな人形を喜ぶ孫の顔が見たい、おじいちゃんとおばあちゃん。

 久米さんの「恐縮ですが」のコメントによって、僕は、大惨事の報道とCMが交互に流れる状態を意識的に体験することになりました。
それは、被災した人たちの、昨日と今日の心の中を交互に見る思いがしました。
アゴの剃り残しにおおいなる不満を感じること、孫の喜ぶ顔が見たいと思うこと、それが「幸せ」の実体なのかもしれません。

 一緒に組んでいる若いコピー・ライターが、先ほどこんなコピーを書きました。
 「今日は晴れ。時々しあわせ」

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110314
「計画停電」の記者会見について
東北関東大震災については、まだ言葉にならない。
今日は、「計画停電」についての会見をメディアを通して
観たり聴いたりしている中で、東電側とマスコミ(住民)の間に
決定的な認識の差があることに気づいたので書くことにした。
それは、「電気は、需要に合わせて、いま生産されている」という
東電側にとっては当たりまえのことがマスコミ(一般)には認識されていないのだ。
私は以前、東京電力の広告を短いあいだ担当したことがある。
電気を備蓄する試みが始まっていることをPRするという仕事だった。
「いま使っている電気は、いま作っている電気」
「電気も石油のように備蓄できればいいのに」
そんなキー・ワードを考え出したと記憶している。
「電気の備蓄」は、やはり難しいのだろう。
あるいは費用対効果の点から日の目を見ないのか、
一定の電気を備蓄でまかなっているという話は聞こえてこない。
昨日発表された「計画停電」が、翌朝になってみると、訂正されている。
停電するはずの地区に、電気が無事に送られている。
いったいどうなっているんだ、生活インフラの基盤にかかわる方針がころころ変わって!
と文句を言いたくなる人もいるだろう。
東電の広報の人には、冒頭で言ってもらいたい。
「いま使っている電気は、いま作っている電気です。
だから、皆さんが節電してくださって電気の需要が少なくなれば、
少ない供給で大丈夫です。
つまり『計画停電』を実施する必要がなくなるのです。
一人一人が、いま一歩の節電を実行してください」
2行目からはともかく、
「いま使っている電気は、いま作っている電気です」という情報は
ぜひ流してほしい。
電気は生(ナマ)ものだと理解している人は、
きょう私が話した人の中に一人もいなかった。

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110227
韓国版「歴史を動かしたプレゼン」の話。
「歴史を動かしたプレゼン」の編集者からメールをもらった。
韓国の出版社からオファーがあり、韓国語での出版に同意するかどうか
返事がほしいという内容だった。
部数は多くないが、ハングルに翻訳された本が韓国の書店に並ぶなどとは
思いもかけないことで、よろこんで話を進めてもらうことにした。
本を出すというアクションを起こすと、ビリヤードの玉のように転がって
思いがけない玉にぶつかって、別の方向に転がって行くのが楽しい。
うまく事が運んでほしいものだ。
韓国は仕事でなんどか訪れた。
あれは10年ほど前のこと。
韓国のスタッフがCG(コンピュータ・グラフィックス)の仕上げをしている間、
オフの日が一日できた。
このチャンスにと、高麗青磁の作家の工房を訪問した。
雲鶴象眼の再現に成功した、韓国の人間国宝だった柳海剛さんの工房。
初代は数年前に故人となっていた。100歳まで生きた人で、すでに息子さんや孫の時代になっていた。
工房では、さらにその息子さんだろうか、20代に見える青年が一心に象嵌を掻き落としていた。
手ぶりで少し話をしたが、通訳もいないので話はすぐに終わってしまった。
それでも僕は彼の近くに腰掛けて、飽きずに作業を見ていた。
まるでたくさんの野菜の皮を次々にむいていくような、静かな時間が流れていた。
クルマで片道一時間あまりの柳川というところ。ソウルからの往復はタクシーを半日チャーターした。
鉄道もバスもなく、その方法がいちばんだとプロデューサーが教えてくれた。
運転手さんとふたりきり。やがて、昼食の時間になり、食事にしようと誘った。
左手でお茶碗を持つ格好をして、右手の人差し指と中指でご飯をかきこむジェスチャーをした。
彼はにっこりうなづいて、そうしようという代わりに、こんなジェスチャーをした。
左手は同じようにお茶碗を持つ格好。右手はグーを作って茶碗の中のものをかきこむ動作。
手には、見えないスプーンが握られてた。
それに気が付いたとき、背負っている文化の違いを実感させられた。
「食べる」という、生きるための根源的な動作が、すでに違うのだ。
箸も使うが、それは彼らにとっては補助的なもので、主役はスプーン。
騎馬民族は移動するために、食器も運搬に耐える金属器が主になる。
定住する農耕民族は、やきものがメインになる。
韓国語での出版話が舞い込んで、まっ先に思い出したのは
あの運転手さんのジェスチャーと、日焼けした笑顔だった。

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110225
ずいぶん書くのを休んでいました。
ま、気楽に再開します。
「番組が流れた」と書いたままになったので、それの補足を少し。
じつは、京都や他の地方では予定通り流れました。
(制作会社のディレクターにどこどこの地方で流れたのですか?」と
たずねたのですが、京都や他の地方としか分からないとの返事)
関東地方だけが、延期にならずそのままオクラ入りとなったそうです。
DVDが送られてきました。
テレビはなんどか出ましたが、やっぱり気恥ずかしい。
さて。
今日は駅前にある老舗の書店に行った。
新書を2冊手にしてレジに並ぼうとすると、レジ前にワゴンが出ていた。
そこには「声に出して読みたい日本語」(齋藤 孝著)の文庫版が平積みされている。
ワゴンには直径30センチほどの丸いPOPが立ててあった。
本のタイトルと著者名、そして出版社名が黒々と書かれている。
「思想社」とある。え、社会思想社か?と一瞬思った。
ということは、あの本が現代教養文庫に入ったのか?
いやあの会社は7、8年前に無くなったんじゃなかったけ?
気になってワゴンに近づいて本を見ると、そこには「草思社」と書いてある。
なんだ、10年前に出た本が同じ出版社の文庫本になるわけだ。
草思社文庫のスタートに、かつてのベストセラー再登板ということだった。
そういえば、僕も「草思社」が覚えられず、「思想社」と呼んでいた覚えがあるが、
書店員がいまだに間違えているとは・・・。
レジで店の人にこう言った。
「出版社の名前、まちがってますよ。カメラを持ってたら写したんだけどなぁ」
最初、意味が分からないようだったが、レジの外に出てもらってワゴンのところに案内したらあわてた様子。
はぎ取るようにワゴンからPOPをはずして、礼を言った。
もう少し手間をかけて、もう少し面白くからかう方法はなかったものかと反省。
せっかくいいネタが転がっていたのだから。

「声に出して読みたい日本語」は読んでいない。
単行本が話題になったとき、買おうかと手に取ってみたが棚に戻した。
あとがきだったか、まえがきだったか忘れたが、
そのいずれかを読んでみての感想が、「声に出して読みたくない日本語」だったから。
声に出して読む習慣がある人の書いた文章は、おのずから声に出して読みたくなるものなんだけどなぁ。
あれから10年。文庫版のそれは、声に出して読みたいものに変わっただろうか。
今日は手に取りそこなったので、もう一度行って確かめてから購入を考えよう。

by yasuhikohayashi | 2017-10-05 15:42